床を這う水の指
傾けた板に油を流すと、まっすぐだった前線が、やがて同じ間隔の指に分かれて伸びていく。Kondic 2003 の薄膜の式を自分で解くと、指の間隔は前線のすぐ後ろの盛り上がりの形から言い当てられた。平面で育てた指も、はじめはその間隔で並び、伸びるにつれて少し間を広げた。
なにか
Kondic は 2003 年の SIAM Review の論文で、大学の授業で行った実験と計算をまとめた。長さ 100 cm、幅 50 cm のガラス板を傾け、シリコーン油(PDMS・50 cSt・表面張力 21 dyn/cm・密度 0.96 g/cm³)を 25 g 流す(p.103〜104)。図 1 の 60° の写真では、放してから 4 秒後には前線がいくつもの指に分かれている。
膜が薄いことを使うと、流れの式は膜の厚さ h だけの式 (3) にまとまる。長さを x_c=(a²h_c/sin α)^(1/3) で割ると(式 (4)・a は毛管長・h_c は後ろの平らな膜の厚さ)、残るつまみは板に垂直な重力の強さ D(α)=(3Ca)^(1/3) cot α だけになる(式 (5))。前線のすぐ後ろでは膜が盛り上がり、前線の前の板はごく薄い前駆膜 b で濡れていると見なす(p.99)。
前線を横に揺らすと、揺れの波数 q ごとに育つ速さ σ(q) が決まる。図 3c がその曲線で、D=0 でいちばん速く育つ q_m は「about q ≈ 0.5」と本文にある(p.103)。図 3 の注は、この q_m を実験の指の間隔と比べるべき値としている。表 1 は、角度 30°・60°・82° での理論の間隔 λ_t を 3.7・2.3・1.9 cm、実験の間隔を 2.7・2.5・1.7 cm と並べる。
前線の形と、揺れの育ち方
付録 B のやり方で、式 (6) を前線とともに速さ U=1+b+b² で動く座標で解き、止まった形を出した。b=0.1 のとき、前線の後ろの盛り上がりは、D=0 で後ろの膜の 1.309 倍、D=1 で 1.159 倍の高さになる。
その形に横の揺れを小さく足した線形の式を、付録 C の C.2 の手順どおり時間発展させ、いちばん速く育つ揺れの形と σ を取り出した。D=0 では q_m=0.4894 で、σ の最大は 0.124、σ が 0 に戻る q_c は 0.7558 になった。間隔に直すと 2π/q_m=12.8 で、長さの単位は x_c である。D=1 では q_m=0.3209、q_c=0.4833 で、いちばん速い成長は 0.0233 と、D=0 の 5 分の 1 ほどに落ちる。どちらも図 3c の 2 本の曲線と同じ形をしている。
小さい q については、付録 C の式 (43) が σ≈q²σ1 を与える。q=0.05 で σ/q² を出すと、式 (43) の σ1 の 0.990 倍だった。
q_m は、刻みを 0.025・0.05・0.1 と変えても 0.4893〜0.4909 に収まり、計算する領域の長さを 40・60・90 と変えても動かない。前駆膜の厚さは効く。b を 0.2 から 0.02 まで薄くすると、q_m は 0.454 から 0.514 へ、σ の最大は 0.067 から 0.260 へ上がる。図 3 の注は、(a)(b) の形を b=0.1 で計算したと書くが、(c) の σ(q) の b は書いていない。
平面で指を育てる
幅 102.4、長さ 102.4 の板(単位は x_c)を用意し、止まった形の前線を乱数で少しだけ横に揺らしてから、式 (5) を時刻 140 まで進めた。幅は 2π/q_m の 8 倍にあたる。乱数の種を変えて 3 回走らせた。
t=30 までは前線はまっすぐに見えるが、その下で揺れは育っている。t=30 の前線でいちばん強い揺れの間隔は 12.8・11.4・11.4 で、線形の 2π/q_m=12.8 と同じか、少し短かった。t=35 には指が数えられるようになり、t=50 までに 7〜8.5 本になる(壁にかかる指は半分に数えた)。
そのあと指は長く伸び、遅い時刻になると数が減った。最後の t=140 では 7 本・7.5 本・6.5 本で、間隔は 2π/q_m の 1.14・1.06・1.23 倍になる。前線とともに動く座標で見ても、t=100 からあとは、指の先は時間 1 あたり 0.15 ずつ前へ、根元は 0.09 ずつ後ろへ動いた。
2 次元の計算が線形の計算と同じものを見ているかは、幅を 2 本ぶんに狭めて確かめた。前線の揺れのうち q=0.491 の成分の振幅は、刻み 0.2 で時間 1 あたり 0.0976 の速さで育ち、同じ刻みの線形の σ(0.0951)と 3% で合った。刻みを 0.1 にすると 0.1176 で、刻み 0.1 の線形の σ(0.1217)と 3% で合う。時間刻みを半分の 0.025 にしても 0.0989 で、1% ほどしか動かない。
表 1 と比べる
表 1 の λ_t をセンチメートルに戻すには、後ろの膜の厚さ h_c が要る。原典は、前線が不安定になるまでに進む距離 xf を「およそ 5〜10 cm」とし、付録 D の h_c=3V/(2W xf) を使う(p.104)。xf を動かしながら、D を変えた線形の値から λ=2π x_c/q_m を出すと、表 1 の 3.7・2.3・1.9 cm は、b=0.1 なら xf=6.8・6.0・6.2 cm で、b=0.05 なら 5.20・5.20・5.65 cm で出た。どれも原典の言う範囲に入る。xf を 1 つにそろえても、間隔は角度を立てるほど短くなる。
育つ速さは合わなかった。同じ xf で σ を 1 秒あたりに戻すと、b=0.1 で 0.4・3.8・7.7 /s になり、表 1 の σ_t(0.2・0.3・0.4 /s)の 2.0・12.6・19.2 倍になる。時間の単位には式 (4) の t_c をそのまま使った。この食い違いがどこから来るのかは、原典の範囲では確かめられなかった。
見立て
計算を始める前に、見立てを 6 つ決めた。
1 つ目は、D=0・b=0.1 で q_m は 0.40〜0.55、q_c は 0.70〜0.85 に入る、だった。q_m=0.4894・q_c=0.7558 で当たった。2 つ目は、D=1 にすると成長の最大は D=0 の 3 分の 1 より小さく、q_c は 0.55 より小さい、だった。0.0233 は 0.124 の 5 分の 1 ほどで、q_c は 0.4833 なので当たった。3 つ目の、小さい q で式 (43) と 5% 以内で合う、も 0.990 倍で当たった。
4 つ目は、2 次元で指の間隔が 2π/q_m と 15% 以内で合う、だった。3 回のうち 2 回は 1.14 倍と 1.06 倍で入ったが、1 回は 1.23 倍で外れたので、半分当たりとした。5 つ目は、指の数は数えはじめてから終わりまで変わらない、だった。3 回とも、数えはじめは 2〜3 本で、そのあと 7〜8.5 本まで増え、遅い時刻には減ったので、外れである。
6 つ目は、表 1 の λ_t は xf=5〜10 cm の中で 3 つの角度とも再現でき、xf をそろえても角度を立てるほど間隔が短くなる、だった。どちらも当たった。
どう作ったか
生成器は generators/incline-film.js である。止まった形は、5 点の差分(式 (24)〜(27))と後退オイラーにニュートン法を組み合わせて、前線とともに動く座標で時間を進めて求めた。横の揺れの線形の式は、前駆膜を残すために式 (31) から自分で展開した。b→0 では付録 C の式 (35) と同じ形になる。
2 次元の計算も、式 (5) を同じく動く座標で進めた。横の両端は鏡にして壁で折り返し、上流の端は h=1、下流の端は h=b に固定した。1 歩ぶんの変化は、x の向きの陰解法と y の向きの陰解法を順にかけて求めた。係数にはその時点の膜の厚さの 3 乗を使い、右辺には式 (5) の右辺をそのまま置くので、止まった形は変わらない。はじめは係数を定数にそろえた重調和で安定にしたが、揺れの育ち方が時間刻みを半分にするたびに 0.171・0.150・0.130 と下がって収まらなかったので、このやり方に替えた。刻みは 0.2、時間刻みは 0.05 である。刻み 0.2 では、線形の q_m が 0.474、σ の最大が 0.096 に下がる。膜の厚さは、どの計算でも、どの時刻でも 0.06 を割らなかった(前駆膜は 0.1)。
表紙の絵は、乱数の種 20261027 の計算の t=140 の膜を、厚さの段ごとに等高線で塗り分け、t=40 から 10 ごとの前線を重ねたものである。切り取る場所は、続く 3 本の指がいちばん揃って伸びた所にした。
確かめていないこと。後ろの膜の厚さを 1 に固定しているので、実験のように膜が薄くなっていく流れ(付録 D の xf∝t^(1/3))は計算に入っていない。表 1 の σ_t との食い違いの原因は分かっていない。2 次元の計算の刻みは、線形の値が収まる刻みより粗い。原典の図と写真は載せず、図はすべて自分の計算で描いた。
出典
- 薄膜の式と実験
- Kondic「Instabilities in gravity driven flow of thin fluid films」SIAM Review 45(1)(2003)95〜115(PII S0036144502401358・著者の勤め先のサイトの PDF)。式 (3)〜(8)・式 (31)〜(35)・式 (43)・図 1・図 3・表 1・付録 B・C・D・p.99 の前駆膜・p.103 の q_m・p.104 の実験の条件と xf。本文は文字で読み、式・図 3・表 1・図 1 はページを画像にして読んだ
- 数理
- 止まった形、横の揺れの線形の式の展開と成長率、2 次元の時間発展、指の数え方、表 1 の寸法への戻し方は自分で組んだ
- 親戚
- 蜂蜜に吹き込んだ空気の指(2 枚の板のあいだの界面の指)
- 生成
- generators/incline-film.js(incline-film.svg 表紙・incline-film-book.svg 帳簿)。数値は generators/data/incline-film/facts.json、絵の膜は field.json に書き出した