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周辺ドリフトと扇の弧

青海波の扇の弧に、黒・濃い灰・白・薄い灰の 4 段を繰り返して並べた。明暗差の大きい縁ほど信号が早く出ると置いた模型では、動いて見える向きは「黒→濃い灰→白→薄い灰」の向きになり、並びを逆にすると反転し、左右対称な並びでは 0 になる。いちばん強くなるのは、灰を黒と白の相対輝度の 29.3% と 70.7% に置いたときだった。ただし、模様を細かい受容野だけで見る模型は逆の向きを出し、仕組みの違う模型では向きがつまみ次第で決まらない。

紺・青・生成り・砂色の 4 段が弧に沿って並ぶ扇が、青海波の形に重なって敷き詰められている
扇の中心は青海波・鮫と同じ並びで、手前の扇が奥の扇を隠す。弧の上の明るさは、扇ごとに反時計回りと時計回りの向きを交互にした。絵は止まっていて、アニメーションは入れていない。

なにか

止まった絵なのに、視線を外した場所の模様がじわじわ回って見えることがある。周辺ドリフト錯視と呼ばれ、Fraser と Wilcox(1979)の報告に始まる。Fraser と Wilcox は、暗から明へ濃淡をつけた縞を扇に並べると、周辺で見たときに約 75% の人に動きが見えると報告した。Faubert と Herbert(1999)は同じ現象を周辺ドリフト錯視として論じ、動きは暗から明の向きに見えると書いた。北岡明佳と蘆田宏(2003)は、黒から隣の濃い灰へ、白から隣の薄い灰への向きに動いて見えやすく、のこぎり波より階段状の明るさのほうが効くと書いている。黒→濃い灰→白→薄い灰→黒と一巡する向きにまとめたのは Conway ほか(2005)である。北岡の「蛇の回転」などの作品の配置は写していない。ここでは和柄の棚の鮫と同じ扇の並びを使い、扇 1 枚を 3 本の輪に分けて、輪ごとに弧の上へ 4 段の明るさを並べた。

この棚のカフェウォール錯視では、機械検査の役目は「実物はまっすぐ」を示す側にあった。ここでは一歩進めて、錯視の出どころを模型に置き、どの向きに動いて見えるはずかを数で出す。模型が正しいかどうかは、別の話として残る。

模型

明るさ Y は画面の相対輝度(sRGB を線形に直したもの)で測り、黒を −1、白を +1 とするコントラスト c に直した。濃い灰は −a、薄い灰は +a とする。模様が目に入った瞬間から、各点の信号は時間応答 h(t)=(t/θ)³e^(−t/θ)で立ち上がり、その遅れ(潜時)は τ0 − α|c| とした。明暗差の大きいところほど α|c| だけ早く出ると置いた。θ = 8ms・τ0 = 20ms・α = 4ms も自分で決めた値である。

こうして作った時空間の場を 2 次元のフーリエ変換にかけ、右へ動く成分と左へ動く成分のエネルギーの差を全体で割った。Adelson と Bergen が 1985 年に出した運動エネルギーの形で、最後に左右を差し引く対向の段を置いている。+ は弧の上で「黒→濃い灰→白→薄い灰」の向きを表す。この向きの約束は、+x へ動く縞を入れて指数がちょうど 1 になるのを見て確かめた。

数字を出す前の見立ては 4 つだった。①潜時の模型は「黒→濃い灰→白→薄い灰」の向きに + を出す。②仕組みの違う模型でも符号は同じになる。③灰の明るさを振ると強さは山形になる。④模様の周期と受容野の大きさの比を変えても、符号は変わらない。

向きは閉じた形で決まる

3 つの並びの見本と対向指数、次数ごとの向きの棒グラフ、灰のコントラストを振った山形の曲線、つまみと別の模型の表
上から、3 通りの並びの見本と 1 次の対向指数、空間の次数ごとの向き、灰のコントラスト a を振った強さ、つまみを振った値と仕組みの違う模型を並べた。

潜時の模型の 1 次の対向指数は +0.0684 で、見立て①は当たった。並びを逆にすると −0.0684 になり、差は 4e−15 だった。黒→灰→白→灰の左右対称な並びでは 2e−15 で、0 と区別できない。

理由は式で書ける。潜時を 1 次まで開くと、場は c·h(t − τ0)と α·c|c|·h′(t − τ0)の和になる。空間の k 次で c と c|c| の係数の位相がずれていれば、2 つの項が組になって一方向に進む波を作る。向きは Im(c_k·conj(d_k))(d = c|c|)の符号で決まり、奇数次 16 個のすべてでシミュレーションの符号と一致した。左右対称な並びでは c|c| が c と同じ形になり、位相のずれが無いので 0 になる。

ここで見立て④が外れた。4 段の階段では、3 次・7 次・11 次(4m−1 次)の係数が 1 次の鏡像になるので、その次数の向きは逆になる。対向指数の大きさはどの奇数次でも 0.0684 で、強さだけが次数とともに落ちる(3 次は 1 次の 0.112)。模様を細かい受容野だけで拾う模型は逆に回る、と模型は言っている。周辺視の受容野は粗く、1 次がいちばん強く拾われるので、周辺で「黒→濃い灰→白→薄い灰」の向きに見えるとする Conway ほかの報告とは食い違わない。

灰の明るさ

灰のコントラスト a を 0.05 から 0.95 まで 19 点で振ると、1 次の対向指数は山形になり、見立て③は当たった。a = 0 では灰が中間灰になって左右対称な並びに、a = 1 では黒・黒・白・白になって、どちらも 0 に戻る。1 次の係数を手で計算すると、正味の強さは a(1 − a)、全体で割った指数は a(1 − a)/(1 + a²)に比例する。シミュレーションとの比は 19 点で 0.032% しかばらつかなかった。

指数の山は a = √2 − 1 = 0.4142 にあり、数値の探索でも 0.4143 だった。正規化しない強さの山は a = 1/2 にある。a = √2 − 1 の濃い灰は、相対輝度で黒から白までの 29.3%、薄い灰は 70.7% の位置になる。見本の色はこの相対輝度に合わせて置き、8 ビットに丸めたずれは 0.001 以内に収めた。

画面の値(sRGB・0〜255)に直すと、黒 28 と白 241 の相対輝度の中点は無彩色で 178 になり、画面の値の真ん中の 135 よりずっと明るい。濃い灰と薄い灰も無彩色なら 141 と 207 で、画面の値で等間隔に置いた灰とは違う位置になる。

つまみと、仕組みの違う模型

潜時の差 α を 0.25ms から 8ms まで振ると、指数は α にほぼ比例して増え(0.25ms と 2ms で α あたりの値の比が 1.002)、符号は変わらなかった。応答の時定数 θ を 4・8・16ms にしても符号は同じで、x の点数を 32・64・128 にすると指数は 1e−9 の桁まで変わらなかった。t の点数を 256 から 512 にしたときだけ 1.5% 動く。時間の周波数の枠の刻みが変わるためで、符号には効かない。

見立て②を確かめるため、潜時ではなく「コントラストの大きいところほど速く順応する」模型も作った。応答を c·(1 + β e^(−t/T))、時定数を T = T0/(1 + g|c|)とし、T0・β・g を 12 通りに振った。符号は + が 8 通り、− が 4 通りで、つまみ次第で入れ替わった。見立て②は外れで、この模型からは向きを決められない。並びを逆にすれば反転し、左右対称なら 0 になる性質だけは、潜時の模型と同じだった。

→ カフェウォール錯視(明るさの処理で傾いて見える)

→ 江戸小紋三役と格子の向き(同じ扇の並び)

→ 和柄の対称群(青海波)

機械で分かる範囲と、目でしか分からない範囲

機械で確かめたのは 4 つある。置いた模型の中での向きと強さ、それと閉じた形の一致、つまみを振ったときの符号、見本の絵の並びと相対輝度である。絵がアニメーションを含まない静止画かどうかも調べた。

本当に動いて見えるか、どちらの向きに見えるかは、人の目でしか分からない。周辺ドリフト錯視は周辺視で見えるもので、見え方には人による差がある。Fraser と Wilcox は約 75% の人に見えるとし、北岡と蘆田は回る向きが人によって時計回りにも反時計回りにもなると書いている。画面の明るさの設定やガンマ、部屋の明るさで灰の相対輝度は変わり、模型の a もずれる。自分の目でこの絵が回って見えるかは、ここには書いていない。

どう作ったか

生成器は generators/drift.js で、弧の上の 4 段の並びから時空間の場を作り、自前の高速フーリエ変換で空間の次数ごとに時間方向の変換をかけて、右向きと左向きのエネルギーを数えた。閉じた形は、4 段の階段の k 次の係数を区間ごとの積分で出した。灰の最適値は黄金分割の探索で数値でも出した。扇の並びは青海波と同じ中心の規則で、手前の扇に全部隠れる区画と窓の外の区画は描いていない。色は線形の RGB を定数倍して相対輝度を合わせ、8 ビットに丸めてから近くの値を探した。依存も乱数も使っていない。

確かめていないこと。人の目で動いて見えるか、どの向きに見えるかは確かめていない。潜時がコントラストで短くなる仕組みと、θ・τ0・α の値は自分で置いたもので、生理の測定値とは比べていない。周辺で「強く」見えるかどうかは、開いた資料には書かれていなかった(どれも「周辺で見える」とだけ書く)。受容野の大きさと模様の周期の比は、次数の重みとして考えただけで、網膜の場所ごとの大きさは入れていない。扇のいちばん内側の輪は弧 1 周期が 0.262 と、外の 2 輪(0.393・0.374)より短い。目の動き(微小な眼球運動やまばたき)で模様が繰り返し入り直す効果は入れていない。

出典

身近
周辺ドリフト錯視。A. Fraser と K. J. Wilcox, Nature 281 (1979) 565 と J. Faubert と A. M. Herbert, Perception 28 (1999) 617 は PubMed の要旨、北岡明佳と蘆田宏, VISION 15 (2003) 261 は北岡のサイトの PDF(p.261 と図 1・図 2 の説明)で読んだ。特定の作品の配置は写さず、青海波の扇の並びに自分で並べた
数理
時空間の運動エネルギー: E. H. Adelson と J. R. Bergen, J. Opt. Soc. Am. A 2 (1985) 284 の要旨(「直交する対のフィルタの出力を 2 乗して足し、対向の段に送る」)。潜時の差の考え方: B. R. Conway ほか, J. Neurosci. 25 (2005) 5651(PMC で本文を読んだ。黒と白への応答は灰より 10〜20 ms 早いが、4 組のうち 2 組は遅いほうから速いほうへ向かう逆説があると断っている)。応答の時間変化の考え方: B. T. Backus と İ. Oruç, J. Vision 5 (2005) 1055 の要旨。ここでの式は自分で置いた形である。4 段の階段のフーリエ係数と sRGB の相対輝度: 標準的な定義から計算した
親戚
カフェウォール錯視・江戸小紋三役と格子の向き・和柄の対称群
生成
generators/drift.js(drift.svg 扇の敷き詰め・drift-book.svg 帳簿。依存ゼロ・乱数ゼロ)