墨流しと面積を保つ写像
水面に絵の具の滴を落とし、針や櫛で引いて模様を作る。滴も針も、水面の点を動かす写像として書ける。どちらの写像も面積を変えず、逆向きにたどれば元に戻る。それでも、北・東・南・西に櫛を引く 1 周ごとに、色の境目の長さは約 3 倍に伸びた。画素で描いた絵を逆にたどると、筋が細くなった所から元に戻らなくなる。
なにか
A. Jaffer のページは、水槽の水面に絵の具を落として円い輪を作り、櫛で引いて模様にし、紙を置いて写すマーブリングを扱っている。「The Mathematics of Marbling」と「Dropping Paint」の 2 つのページは、この操作を平面から平面への写像として書く。ここで使う式は、どれもこの 2 つのページから取った。題には墨流しの名を使ったが、日本の墨流しの手順は確かめていない。
中心 C・半径 r の滴を落とすと、水面の点 P は P → C + (P − C)·√(1 + r²/|P − C|²) に動く。滴の中は滴の色になる。まっすぐな針の線 L で引くと、点 P は線に沿って P → P + z·ud·M だけずれる。d は P から線までの距離、M は引く向き、z は最大のずれである。Jaffer は、流れが縮まず層になって流れることと対称性から、ずれが線からの距離で ud(0 < u < 1)と減る形を導いている。ここでは u = e−1/λ と書き、λ を線から 1/e に減る距離とした。
絵は、画素ごとに最後の操作から逆にたどって色を決める。滴の逆は Q → C + (Q − C)·√(1 − r²/|Q − C|²) で、途中で滴の中に入ればその色になる。この描き方も Jaffer のページにある。
面積は変わらない
見立ては、滴の写像も針の写像も面積を保つ、だった。滴は、中心からの距離 ρ が √(ρ² + r²) に変わり、向きは変わらない。極座標で面積の倍率を書くと、(ρ′/ρ)·(dρ′/dρ) = 1 になる。針は、線に沿うずれが線からの距離だけで決まるので、ずらしても幅が変わらない。
ヤコビアンの行列式を 2 通りで出した。閉じた式で微分した値と、中心差分で数値微分した値である。4000 点ずつ比べると、1 からのずれは滴で 3.2 × 10⁻¹⁴ と 1.1 × 10⁻⁷、針で 8.9 × 10⁻¹⁶ と 3.0 × 10⁻¹⁰ だった。見立ては当たった。前へ送って逆でもどすと、点は 7.7 × 10⁻¹⁶ 以内で元の位置に戻る。Jaffer が示した輪の議論も数値で確かめた。面積 0.5 の輪は、内側に面積 0.7 の滴を足しても面積 0.5 のままで、幅は 0.1268 から 0.1012 に細くなる。
同じ向きの 2 本の針は、順番を入れ替えても 2.2 × 10⁻¹⁶ 以内で同じ写像になった。1 本の櫛の歯は、どの順に引いてもよいことになる。向きの違う針は入れ替えられず、ずれは最大 0.21 になった。
同じ所の滴は 1 つにまとまる
半径 r₁ の滴のあと、同じ中心に半径 r₂ の滴を落とすと、半径 √(r₁² + r₂²) の滴 1 つと同じ写像になる。4000 点で、差は 6.8 × 10⁻¹⁶ だった。中心が違う 2 滴は、順番で絵が変わる。左右に 0.6 離した半径 0.25 の 2 滴では、順番を替えたときの点のずれは平均 0.0079、最大 0.42 だった。真ん中の点は、あとに落とした滴から遠い側に 0.0262 ずれる。
同じ所に同じ量を落とし続けると、k 番目の滴の縁は、最後には半径 r√k に来ると見立てた。16 滴で、比 R/(r√k) と 1 の差は 2.2 × 10⁻¹⁶ で、見立ては当たった。輪の幅は r(√k − √(k−1)) なので外ほど細くなり、内から 2 番目は 0.0586、いちばん外は 0.0180 になる(r = 0.1414)。
境目の長さは 1 周ごとに約 3 倍
見立ては、面積は保たれたまま、境目の長さは引いた回数に比例して伸びる、だった。これは外れた。半径 0.2 の滴を真ん中に 12 回落とした輪に、7 本の歯の櫛(間隔 0.28・z = 0.18・λ = 0.06)で北・東・南・西に引く 1 周を重ねた。境目の長さは 0 周から 4 周で 36.76・98.12・258.50・780.40・2532.10 になった。1 周ごとの倍率は 2.67・2.63・3.02・3.24 で、比例ではなく倍々に伸びる。
長さは 2 通りで出した。1 つは、滴の縁の角度で写像を微分し、その大きさを 65,536 点で積分した値である。もう 1 つは、縁を前へ写した折れ線で、辺が 0.002 より長ければ中点を足していく。折れ線は折り返しの角を近道するので、1.3〜3.6% 短く出た。刻みを 0.008・0.004・0.002 と細かくするほど、微分の値に近づいた。面積は、いちばん外の縁で囲んだ折れ線で 1.50796 から 4 周後に 1.50806 になり、差は折れ線の粗さの分だけだった。
なぜ倍率が 1 周ごとにほぼ一定になるのかは、式では示していない。
画素の絵は戻らない
式の上では逆にたどれば必ず戻るが、画素の絵では、筋が 1 画素より細くなった所から戻らないと見立てた。1 辺 240 画素の絵を櫛で n 周引いて画素でとり、元の画素の中心を前へ送って、送った先の画素の色を読んだ。輪の中の 21,716 画素で、元と違う色になったのは 1・2・3・4 周で 11.5・17.6・22.4・25.8% だった。
筋の幅は、元の輪の幅を、その点での伸び(ヤコビアンの大きいほうの特異値)で割って見積もった。筋が 1 画素より細くなった所では 25・36・40・43% が戻らず、そうでない所では 6.7・7.4・7.8・8.5% だった。戻らない画素のうち、筋が細い所にあったのは 57〜84% である。見立ては半分当たった。細い所ほど戻りにくいが、細くても半分以上は戻り、太い所でも境目のすぐ隣は戻らない。点のまま前へ送って逆でもどすと、4 周でもずれは 1.5 × 10⁻¹³ だった。
絵も 2 通りで描いて比べた。1 つは画素ごとに逆にたどる描き方、もう 1 つは滴の縁を前へ写した折れ線を古い滴から順に塗る描き方である。カードの絵で、1 辺 200 画素の 40,000 画素のうち、色が違ったのは 39 画素(0.1% 未満)だった。
雪花絞りの折り目は鏡で、長さも角も保つ。墨流しの写像が保つのは面積だけで、長さは 1 周ごとに約 3 倍に伸びる。地図のゆがみの正積円筒も、面積だけを保つ写像である。
どう作ったか
生成器は generators/suminagashi.js である。滴と針の写像、その逆、ヤコビアンの閉じた式と数値微分、画素ごとに逆にたどる描き方、滴の縁を前へ写す描き方を持つ。境目の長さと画素の往復は時間がかかるので、数値は generators/data/suminagashi/facts.json に置いた。作り直すときは node generators/suminagashi.js data(約 40 秒)を流す。窓は 1 辺 2 の正方形で、乱数は種を固定した標本にだけ使った。
確かめていないこと。論文 S. Lu ほか「Mathematical Marbling」(IEEE CG&A 32 巻 6 号、2012 年)の本文は開いていない。書誌は Jaffer のページから取った。日本の墨流しの手順や道具は、開いた原典で確かめていない。絵の具の粘りや表面張力、紙に写すときのにじみは入れていない。境目の長さが 1 周ごとにほぼ一定の倍率で伸びる理由は示していない。櫛の間隔・z・λ は決めた値である。
出典
- 数理
- 滴の写像と、画素ごとに逆にたどる描き方: A. Jaffer「Dropping Paint」(http://people.csail.mit.edu/jaffer/Marbling/Dropping-Paint 、Copyright 2006, 2010)。針の写像 F(P) = P + z·ud·M と、逆はずれを負にした同じ式であること、北・東・南・西の櫛: A. Jaffer「The Mathematics of Marbling」(http://people.csail.mit.edu/jaffer/Marbling/Mathematics 、Copyright 2003〜2017)。論文: S. Lu ほか, Mathematical Marbling, IEEE CG&A 32(6) 26–35 (2012)(本文は開いていない)
- 親戚
- 雪花絞りと畳み方の群・地図のゆがみを楕円で見る・和柄を版画画廊の写し方で巻く
- 生成
- generators/suminagashi.js(suminagashi.svg カード・suminagashi-book.svg 帳簿。数値は data/suminagashi/facts.json。依存ゼロ)