算額の不変量
円に内接する多角形をどう三角形に分けても、内接円の半径を足した数は同じになる。動かない量はもう 1 つあり、内心の重心も分け方によらない。頂点を 1 つ円から外すと、和は分け方ごとに違う数になる。
なにか
算額は、江戸期に神社や寺へ奉納された数学の額で、円の中に円を詰めた図がよく描かれている。算額は江戸時代(1603〜1868)の産物で、絵馬を奉納する古い習わしから枝分かれしたものである(Clark の Sangaku Archive の紹介論文 arXiv:2608.25902 の p.1)。その中に、いまは「日本の定理」と呼ばれる次の性質がある。円に内接する多角形を対角線で三角形に分け、それぞれの三角形に内接円を描く。分け方を変えると内接円は大きさも位置も変わるのに、半径を全部足した数は変わらない。四角形の場合は、丸山良寛が 1800 年に鶴岡山王社に奉納した算額にあると、大島利雄の日本数学会での講演(2023 年 3 月 18 日)の資料が書いている。Ahuja・Uegaki・Matsushita の 2004 年の論文は、四角形の場合は中国に起源があるとしている。ここでは、この性質を全分割の総当たりで確かめ、なぜ変わらないのかを式に書き、同じ仕組みで動かない量がほかにあるかを探した。
n 角形の三角形分割はカタラン数 C(n−2)通りで、四角形なら 2、五角形なら 5、六角形なら 14、八角形なら 132 通りある。分割の列挙は自前で書き、個数がカタラン数の式と一致することを確かめてから使った。点は外接円の上に、種を固定した乱数で置いた。文献の数値は使わず、出てくる数は全部この生成器で計算した。
足すと対角線が消える
n = 4 から 8 まで、全分割で内接円半径の和は 10⁻¹⁵ の桁で一致した。五角形の 5 通りは全部 0.699549、六角形の 14 通りは全部 1.072164 で、八角形の 132 通りも同じ数に揃う。
理由はカルノーの定理にある。三角形では、外接円の半径 R と内接円の半径 r の和が、外心から 3 辺へ下ろした符号つき距離の和に等しい。Carnot は 1803 年の『位置の幾何学』の p.168(§137)でこれを述べ、鈍角三角形ではその垂線の値が負になると断っている。ここでは鈍角三角形を含めて数値で確かめた。外心が辺の外側にあるとき、その辺への距離は負に数える。分割の全三角形でこの式を足すと、対角線は両側の三角形から 1 回ずつ現れ、外心は必ずその一方の側にあるので符号が逆になって消える。残るのは多角形の辺の項だけで、Σ r = Σ d − (n−2)R(d は外心から多角形の各辺への符号つき距離)になる。右辺に分割は出てこないから、左辺は分割によらない。この閉じた形を実装して、全分割の和と 10⁻¹⁵ の桁で一致することを確かめた。外心が多角形の外に出る五角形では d が 1 本負になり、それを正に数えると式は合わない。
四角形には別の形の定理がある。2 本の対角線で 2 通りに分けてできる 4 つの三角形の内心を結ぶと長方形になる(R. A. Johnson, Modern Geometry(1929)の p.255、§422)。ランダムな 4 点で、隣り合う辺の内積が 10⁻¹⁶ の桁で 0、2 本の対角線の長さが 10⁻⁹ で一致することを確かめた。根拠は弧の中点の補題で、弦 AB の弧の中点 M(C と反対側)から A・B・内心 I までの距離は等しい。
ここで見立てを 1 つ立てた。四角形で長方形になるなら、n 角形でも隣り合う三角形の 2 つの内心を結ぶ線は共通の辺に垂直だろう、という見立てである。数字で試すと外れた。六角形の全分割で隣り合う内心の組を集めると、共通辺との角の |cos| は最大 0.869 で、垂直とはほど遠い。
代わりに、ほかの量を総当たりで調べる帳簿から 1 つ出てきた。六角形の 14 通りで、内接円の面積の和・半径の積・周長の和・内心と外心の距離の和は分割で変わるが、内心の重心は 10⁻¹⁶ の桁で動かなかった。理由も半径の和と同じ型で書ける。三角形の内心は、3 つの辺の外側の弧の中点が作る三角形の垂心で、外心を原点にとると I = M_a + M_b + M_c になる。分割の全三角形で足すと、対角線の弧の中点は両側の三角形で正反対の点(対蹠点)になって消え、Σ I = Σ M_k − 2(n−2)O(M_k は多角形の各辺の外側の弧の中点)だけが残る。半径の和が「スカラーの版」なら、内心の和は「ベクトルの版」で、どちらも対角線が消える仕組みは同じである。n = 5 から 8 で右辺と一致した。
定理は「円に内接している」ことを丸ごと使っている。頂点を 1 つだけ半径方向に ε 動かすと、和は分割ごとに違う数になり、そのばらつき(最大−最小)は ε に比例して伸びる。六角形と七角形で ε を 10⁻¹ から 10⁻⁴ まで振ると、log-log の傾きは 0.989・0.999・1.000 だった。ε が半分なら、ばらつきも半分になる。
→ アポロニウスのガスケット(デカルトの円定理も算額に見える)
どう作ったか
生成器は generators/sangaku.js で、円周上の点の生成(種を固定した乱数)、三角形分割の列挙、三角形の内接円・外接円、外心から辺への符号つき距離、カルノーの閉じた形、四角形の 4 内心、弧の中点の補題、内心の和の恒等式、量の帳簿、円から外したときのばらつき、そして描画を順に書いた。依存はなく、乱数は種を固定してあるので結果は毎回同じになる。
出典
- 身近
- 算額。江戸期に神社仏閣へ奉納された幾何の額(ここでは定理の内容だけを使った)
- 数理
- 算額は M. Clark, Introducing the Sangaku Archive(arXiv:2608.25902)の p.1。日本の定理は大島利雄「Japanese Theorem とカタラン数」(日本数学会 2023 年 3 月 18 日の市民講演の資料)の 2 枚目と、S. Ahuja・M. Uegaki・K. Matsushita, Missouri J. Math. Sci. 16 (2004) の pp.72〜73(Project Euclid で読んだ)。4 内心の長方形は R. A. Johnson, Modern Geometry(1929)の p.255、カルノーの定理は L. N. M. Carnot, Géométrie de position(1803)の p.168(どちらも archive.org)。ここで確かめたのは自分の数値計算の一致である
- 親戚
- アポロニウスのガスケット・シュタイナー鎖・家紋の対称群・畳の敷き方
- 生成
- generators/sangaku.js(sangaku.svg 八角形の 2 つの分割・sangaku-book.svg 帳簿。依存ゼロ・乱数は種固定)