等長の網
漁網をボールにかぶせる。ストッキングを膝に伸ばす。糸の長さは変えられないのに、交わる角だけがしなやかに変わって、平らな網が丸いものに沿う。この「棒の長さは全部同じ、角だけ自由」という網をシェボレフ網と呼び、木の細い板を格子に組んで曲面の屋根にするグリッドシェルはこの原理で立つ。ここで確かめたのは、その網がどこまで伸びるかである。網が覆える「曲がりの総量」は四隅の角だけで決まり、角は 0 と π のあいだにしかいられないので、2π 以上曲がった面は 1 枚では絶対に覆えない。球は 4π なので、どんなに工夫しても掛からない。
なにか
2 つの向きの糸が交わってできる網で、どの目の辺も同じ長さのものをシェボレフ網という。糸の長さは伸び縮みしないが、交わる角 ω は自由に変わる。だから網は「曲がった面に沿って、角を変えることだけで」貼りつく。布が体に沿うのも、漁網が丸太に掛かるのも、この 1 自由度である。
作り方は単純である。編み始めの 2 本の曲線を面の上に置き、あとはコンパスで 2 つの円を描いて交えるだけでよい。すでにある 3 つの結び目 A・B・D に対して、B からも D からも棒 1 本ぶんの距離にある点が次の結び目 C になる。実際に網を張るときの手つきそのままである。
覆える量は四隅の角だけで決まる
網の目を 1 つ取り出す。球面の四辺形なので、その面積は内角の和から 2π を引いたもので厳密に出る(ジラールの定理)。単位球ではこれが、その目が受け持つ曲がりの総量そのものになる。目を全部足せば、網が覆った領域の曲がりの総量が近似なしで出る。
いっぽう、網の角 ω を四隅で読むだけでも同じ量が出る。長方形に切った網 [0,a]×[0,b] について、∫K dA = ω(a,0) + ω(0,b) − ω(a,b) − ω(0,0)。中身をいくら覗いても意味はなく、四隅だけ見れば足りることを示す式である(ハジダキスの公式、1880 年)。実際に両方を測って比べると、棒を細かくするほど差が縮み、棒を半分にすると差も半分になった(比が 2.099・2.050・2.026・2.013)。曲がりの総量の側はジラールで厳密なので、ずれているのは離散の四隅のほうである。
そしてここが効く。ω は 0 と π のあいだにしかいられない。0 になれば 2 本の糸が重なって網が潰れ、π になれば逆側に重なる。だから四隅の交代和は 2π を超えられない。網の張り方にも面の形にもよらない。曲がりの総量が 2π 以上ある面は、等長の棒 1 枚では覆えない。閉じた凸曲面はどれも 4π なので、球にせよ卵にせよ、必ず切って継ぐことになる。潰れていない長方形を総当たりで調べても、2π を超えるものは 1 つも出なかった(最大 2.5173)。
実際にはもっと早く潰れる
天井は 2π だが、届くわけではない。大円 2 本を直角に交わらせて編み始めると、対角の方向へ弧長 1.36 ほど進んだところで角が 0 になり、そこで網は止まる。そこまでに覆えた曲がりの総量は 3.429、球の 27.3% でしかない。天井の半分にも足りない。
編み始めの交差角を変えると掛かる量は変わる。30° なら 9.3%、60° で 18.5%、90° で 27.3%、120° で 35.5%、150° で 41.7%。深く交わらせるほど掛かる。ただしそれでも球の半分(=天井の 2π)には届かない。網を斜めに始めるほど、目は最初から菱形で、潰れるまでの余裕が大きいと読める。
グリッドシェルを組むときに「どこから編み始めるか」で掛かり方が変わるのは、この 1 自由度の使い残しがどれだけあるかで決まる。直角から始めると、あとは角を減らす方向にしか使えない。斜めから始めれば、減らす余地が増える。ただし斜めの網は目が細長くなり、面内のせん断に弱くなる(構造の側の話なのでここでは測っていない)。
網の角はソリトンの式を満たす
角 ω の振る舞いは式で書ける。網の方向を u・v として、ω_uv = −K sin ω。K は面のガウス曲率で、球なら 1 である。サイン・ゴルドン方程式そのもので、ソリトンの話に出てくるあの式である。等長というだけの条件から、可積分系の式が出てくる。
離散の網でこの残差を測ると、棒を半分にすると残差は 4 分の 1 になった(比が 4.023・4.006・4.001・3.998)。2 乗で消える。角の交代差を棒の長さの二乗で割ったものが、そのまま −sin ω に寄っていく。
ついでに言えば、ハジダキスの式はこの式を積分しただけである。面積要素が sin ω なので ∫∫K dA = −∫∫ω_uv du dv となり、二重積分が四隅の値に落ちる。四隅だけで足りるのは、K sin ω の sin ω が面積要素とちょうど打ち消し合うからで、等長という条件がその打ち消しを作っている。
どう作ったか
- 網
generators/chebyshev.js。球面上で、B と D から弧長 ℓ の 2 円の交点のうち A でないほうを取る。棒の長さは 840 本すべてで弧長 ℓ に 1e−13 まで一致している。- 曲がりの総量
- 目ごとにジラールの定理(内角の和 − 2π)で厳密に出し、足し合わせる。近似の面積式は使っていない。
- 角
- 符号つきで測る。面の法線(球なら点そのもの)のまわりで +u から +v へ回る角として atan2 で取る。acos だけで測ると、角が 0 を切って網が折り返したあとも正の値が返り、潰れたことを見逃す。実際これで最初は「球の 60% を覆えた」と誤った数字を出した。
- 潰れた先
- 各 u の線について「最初に角が 0 を切る場所」までで打ち切る。目ごとに独立に判定すると、折り返した先の目がまた通ってしまう。
検査
棒 840 本はすべて同じ弧長で、原点の角は編み始めの交差角に一致する。潰れていない長方形を総当たりしても、覆える曲がりの総量は 2π を超えない。
出典と権利
- 数理
- 網の角が満たす式 ∂²ω/∂u∂v = −K sin ω と、曲がりの総量が四隅の角で決まる Hazzidakis の公式(Crelle 88, 1880)は、É. Ghys, 「Sur la coupe des vêtements」(ENS Lyon の公開論文)の pp.8〜9 で読んだ。同じ論文の p.26 は、曲率 −1 の面で「糸で囲まれたどの長方形も面積は 2π 未満」と書いている。M. Baek ほか, Form finding in elastic gridshells, PNAS 115 (2018) 75 の p.3 も同じ公式を引き、「4 本の棒で囲まれたどの領域も、曲がりの総量は最大 2π」とする。同論文の p.1 は、1970 年代に建築の側がこの考えを大きな構造に移してグリッドシェルを作ったと書いている。実物の寸法は測っていない。ここに書いた数はすべてこのギャラリーで計算し直したもので、掛かる量の交差角による違いは実測である。
- 身近
- 漁網・ストッキング・レース編み・木のグリッドシェル(身近な例として挙げた。寸法は測っていない)。
- 親戚
- 測地線ドーム(建築の棚 第 1 弾)・主応力線のリブ(第 2 弾)・相持ちの屋根(第 3 弾)・Resch のタック(発見13・角の欠損の総量)・双曲タイル
- 生成
- generators/chebyshev.js(chebyshev.svg カード・chebyshev-book.svg 帳簿)