踏み面のない階段
階段を下から見上げると、踏み面は見えない。蹴込みだけが何段も重なって見える。イスラム建築の天井を埋める鍾乳石のような持ち送り、ムカルナスは、それを天井にしたものである。1427 年にサマルカンドの数学者 al-Kashi が『算術の鍵』で与えた定義は「面と平らな屋根をもつ階段のような天井」と始まる。ここでは、その定義と、同じ本にある石工の板の作図から、ムカルナスを組み直した。要素の面積は法(正方形の辺)を 1 とした Q(√2) の数で 6 桁がすべて再現し、石工の板からは係数 2 − 2√3/5 + 2π/15 が閉じた形で出る。彼の六十進の値で食い違うのは 1 行だけで、√3 の読み違えで戻る。
なにか
ムカルナスは小さな壁龕(胞)を段にして積んだ天井で、モスクの入口の上やドームの付け根に見える。al-Kashi の定義(Dold-Samplonius の英訳 p.202 から訳した)はこうである。「ムカルナスとは、面と平らな屋根をもつ階段のような天井である。どの面も隣の面と、直角か、その半分か、その和か、それ以外の角で交わる。2 つの面は水平な面の上に立つと考えてよい。その上に、水平でない平らな面か、平らか曲がった 2 つの面が架かり、これが屋根になる。2 つの面と屋根をあわせて 1 つの胞という。同じ水平面に底をもつ隣り合う胞の並びを 1 つの段という」。
角が 45°・90°・135° に限られるので、下から見た平面図は正方形と 45° の菱形、そしてそれらを割ったかたちで埋まる。al-Kashi が名前をつけた要素は正方形・半正方形・菱形・半菱形・アーモンド(直角を 2 つもつ凧)・二脚(菱形からアーモンドを除いた残り)・壺(半径 1 の八角形の 2/8)の 7 種で、彼はそれぞれの面積を 6 桁の小数で与えている。法を 1 として測り直すと 1・1/2・√2/2・√2/4・√2 − 1・1 − √2/2・√2/2 で、6 桁がすべて再現する。面の底になる長さも 4 種だけと彼は言い、1・√2/2・√2 − 1・√(2 − √2) である。最後の八角形の辺だけが Q(√2) の外(x⁴ − 4x² + 2 の根で次数 4)で、彼が八角形をわざわざ名指しするのはこの辺のためだと読める。
石工の板から係数が閉じた形で出る
曲がった屋根の面積を出すために、al-Kashi は「係数」を使う。胞の底の長さの和にこの係数を掛けると、面と屋根をあわせた表面積になる、という実務の数である。その値は石工が板を作る作図から出てくる。幅 1・長さ 2 の長方形 ABGD を描き、A から AB と 30° の線 AE を引いて E で長辺に当て、AE を 5 等分し、E から 2 つぶんの Z(AE 上)と H(長辺上)を取り、Z と H を中心に半径 ZH の弧を交えて T、T を中心に弧 ZH を引く。G から H までが鉛直な面、H から Z が弧、Z から A が斜線で、これが胞の断面である。係数は GH と曲線 AZH の半分の和。
作図どおりに引くと、すべてが閉じた形になる。弧の半径はちょうど 4/5、弧の長さは 4π/15、GH = 2 − 3√3/5、曲線の半分(曲げ因子)は √3/5 + 2π/15、そして係数 = 2 − 2√3/5 + 2π/15 = 1.726059。√3 と π が一つの式に同居する。al-Kashi は六十進で計算していて、転記された値は AE 1;9,16,55,18・AZ 0;41,34,9,11・弧 0;50,15,55,44・曲線 1;31,50,4,55・曲げ因子 0;45,55,2,27。作図から出した値と 4 桁すべてで一致する(最後の桁の ±1 は丸め)。外れるのは GH の 1 行だけで、彼は 0;57,38,43,14、作図は 0;57,38,46,12。係数 1;43,33,45,41 = 1.726045 の差はここから来ている。
Dold-Samplonius は「√3 = 1;43,55,22,58 を 1;43,55,27,58 と読み違えたのではないか」と書いている。この仮説を GH の計算にだけ入れて計算し直すと、係数 1;43,33,45,41 が彼の転記に 4 桁で戻り、GH 0;57,38,43,13 と和 2;29,28,48,7 は 3 桁で戻る(4 桁目は 13 と 14・7 と 9)。正しい √3 では戻らない。600 年前の一行の食い違いが、5 桁目の読み違え一つで説明がつく。
もう一つ、作図の中に理由がある数がある。弧は T を中心とする 60° の弧(T は ZH の正三角形の頂点)なので、弦 ZH と接線のなす角は 30°。△ZEH は頂角 120° の二等辺三角形だから弦は水平から 60° 傾く。弦を 30° 回した先が、H では鉛直、Z では 30° の斜線にちょうど乗る。だから断面は角なしに(C¹ で)つながる。∠BAE を 20° から 40° まで振ると、両端の折れは |∠BAE − 30°| の半分で、0 になるのは 30° だけ。30° は偶然ではない。
規則だけで丸天井が閉じる
平面図は次の繰り返しで組める。輪郭(段の底の線)に胞を立てる。辺 √2 には半正方形、辺 √(2−√2) には半菱形、135° の角に八角形の辺が 2 本集まれば壺、√2 − 1 の辺が 2 本集まればアーモンド。胞の稜(輪郭の頂点から先端まで)は種類によらず長さ 1 で、隣り合う胞の稜のあいだは 45° か 90° にしかならない。そこを半菱形か半正方形の三角形、あるいは二脚(三角形の前を V に切り欠いたもの)で埋める。胞の先端と中間要素の前縁が次の段の輪郭になる。
辺 4√2 の正八角形から始めると、8 段・高さ 16 で最後の段の先端が中心の 1 点に集まって閉じる。胞 192・中間要素 176。要素の面積の総和は八角形の面積に 1e−9 で一致し、隙間も重なりもない。二脚を置いた次の段にはアーモンドが立ち、切り欠きが次の段の底になる、という玉突きがこの模様を作る。
ここで定義の「階段」が効く。どの要素も後ろが一段下・前が一段上で、平面図に水平な面は 1 枚もない。踏み面のない階段である。胞は底の頂点 3 つ(角と面の両端)が今の段の輪郭に、先端 1 つが次の段の輪郭にある。ロザンジュで見た de Bruijn の階段(菱形の 4 頂点を 4 次元の格子点に持ち上げ、高さを一次式で読む)では、菱形の 4 頂点は必ず 1-2-1 に分かれるので、3 つが同じ段で 1 つだけ違う胞は作れない。重みを総当たりしても出ない。ムカルナスの段は高さの関数ではなく「向き」(後ろから前へ)が決めている。段は平面図の持ち上げでは書けない。
係数はどれだけ言い当てるか
al-Kashi の頭の中では、胞の表面は「高さ GH の長方形 2 枚と、その上に載る、曲線 AZH を高さとする三角形 2 枚」である。屋根を、断面 z(x) を面と平行に押し出した面(先端に集まる同じ断面の母線の束と、三角形の上では同じ面になる)として実際に作り、面積を数値積分で測った。面(鉛直の長方形)は規則どおり厳密で、屋根は「底 × 曲線 / 2」より 1〜2 割大きい。理由は、三角形の幅が水平方向の位置に比例するのに対し、弧の急な部分(面のすぐ上)ほど曲線が長いこと。面から先端までの水平距離(走り)が 1 より短い胞ほど屋根が立ち、比が大きくなる。丸天井の胞ぜんぶでは、模型の表面は規則の 1.06 倍。実務の係数としては十分で、しかも過小に出る側である。
彼が与えた曲がった中間要素の値(三角形 0.567129・小二脚 0.610328・大二脚 1.014473・アーモンド 0.633709)は出し方が論文でも分かっておらず、この模型はどれとも一致しない。そこは主張しない(下の「続き」で当てにいったが、当たらなかった)。
続き: 彼女の試算、彼の 4 つの数、出土板
彼女の試算。Dold-Samplonius は曲がった中間要素を「平面の面積 ÷ 主対角線 × 曲線 AZH(1.530577)」で試算し、al-Kashi の値と合わないと書いている。彼女の 4 つの結果はどれも入力どおりに 6 桁で再現するが、うち 2 つは割った主対角線が幾何と食い違う(アーモンドの 1.0420108 は sec22.5° = 1.082392、三角形の 0.903689 は cos22.5° = 0.923880)。幾何の値で計算し直すと、アーモンド・三角形・小二脚の 3 つが同じ 0.585726 になる。対角線が直交する図形では 面積 ÷ 主対角線 = 横対角線 / 2 で、3 つとも横対角線が √(2 − √2) だからである。al-Kashi の 4 値は全部違う。だから彼の出し方は「横対角線 × 曲線 / 2」ではない。
彼の 4 つの数。板と要素に現れる 50 個の量(1・√2・√2 − 1・√(2 − √2)・cos 22.5°・GH・弧・曲線・因子・係数・π・√3 など)の積・商・和・差と 3 項の組(/2・/4 つき)を 276,675 通り総当たりしても、4 値に 6 桁で一致する式はひとつもない(最も近いもので 8e−6、あとは 1e−5 台の偶然)。彼の値は六十進の定規で測った数か、ここにない量から出ている。出し方は当たらなかった、と記録する。
出土板の角。タフテ・スレイマーンの南八角堂の角(90°)について、Dold-Samplonius は図 3 から「第 1 段は角に正方形、両脇に半正方形、あいだに半菱形 2。第 2 段は角に壺(底は八角形の辺 2 本)、脇に正方形の 2 辺に立つ胞 2、二脚 6」と読んでいる。壁を [1, √2, √2, 1] に割った正方形の部屋にこのギャラリーの規則を当てると、第 1 段は 3 つの方針すべてで一致する。第 2 段はどの方針でも出ない。角の壺までは出るが、脇は半正方形かアーモンドになり、中間は半菱形か二脚 2 で、正方形と二脚 6 にはならない。板は 90° の隙間(隣り合う半正方形のあいだ)を、この規則にない形で埋めている。規則の側に分岐が足りない。
平面図の座標化。Harb の復元図(同論文 fig. 2)を機械で座標に起こした。8 方向の線分オープニングで点描を消し、画素ごとに 8 方向の光線を見て交点の塊 240 個を拾い、壁の角を原点に、交点から 7 px 以内で長さが 6 種のどれかになる辺を格子の上に育てる。得られたのは頂点 115・辺 175 の部分(辺の長さは 1・√2 − 1・√(2 − √2)・sec 22.5°・√2・2cos 22.5° の 6 種だけ)で、面は閉じていない。格子への残差は平均 4.1 px(法 92 px の 4%)だが、この残差は篩にならない。乱数の点を同じ規則で丸めても 4.8 px になる。|b| ≤ 3 の格子 a + b/√2 は最小の刻みが 16 px で、手描きのずれと同じ桁だからである。「格子に乗る」を言うなら面の帳簿で言う。平面グラフの面を辿ると閉じた面が 57 あり(外周と穴の境界 3 つを除く)、そのうち 53 が al-Kashi の 7 種の要素か、その半分(主対角線で割った形。図では要素の中に主対角線が引いてある)の面積に 1e−3 で一致する(半正方形 17・半菱形 17・アーモンドの半分 10・二脚の半分 9)。残り 4 は辺の欠けによる合併(正方形+二脚が 2・正方形−半菱形が 1)と細片 1 で、手で辺を補えば消える。出土板の平面図は、al-Kashi の要素の帳簿で閉じている。
つまずき: 短い刻み √2 − 1 は線上のどこにでも乗るので、頂点を交点の塊で受けないと格子点が 1 万に爆発する。1 px 太らせてから開口すると点描が融合して塊になる。残差で「乗っている」と言いたくなるので、乱数の基準を必ず横に置く。
どう作ったか
- 要素と板
generators/muqarnas.js。7 種の要素を法 1 の座標で置いて面積を実測し、al-Kashi の 6 桁と閉じた形の両方に突き合わせる。板は作図の手順そのままに点を取り、六十進は整数部と 4 桁で丸めと切り捨ての両方を出す。- 丸天井
- 輪郭を反時計回りの多角形として持ち、角に立つ胞(壺・アーモンド・正方形・菱形)を先に、辺に立つ胞(半正方形・半菱形)を後に置く。隙間の角は符号つきで測り、45°・90° 以外が出たら止める。二脚は偶数段の隙間に置いた。
- 屋根の面
- 胞の屋根は「面の線からの距離」だけで高さが決まる面で、断面 z(x) を胞ごとの走りに合わせて横に伸縮して載せる(al-Kashi の平均「主対角線 = 1」の代わり)。先端から面の上端の各点へ向かう母線の束として作っても、三角形の上では同じ面になる。中間要素は頂点から前縁へ。共有する稜の上で両者の高さが一致する。面積は 1 次元の積分(折れ線の長さ × 幅)で出し、2 次元の中点則(面の上端で接線が鉛直になる特異点を v = 1 − (1 − u)² で消す)と 1e−4 で一致することを検査にした。
- 罠
- 弧の中心 T は弦 ZH の長方形の内側にとる。外側にとると弧が逆に膨らみ、断面が 2 を超えて屋根の面積が 2.5 倍に出た。六十進の突き合わせは最後の桁を丸めと切り捨ての両方で見る(転記と丸めで ±1 が出る)。
検査
要素の面積と六十進の値は、al-Kashi の 5 値、Dold-Samplonius の 3 値と一致する。表面積は 2 通りの積分で一致した。
出典と権利
- 数理
- al-Kashi『算術の鍵』(Miftah al-Hisab, 1427)のムカルナスの定義・要素の面積・「石工の方法」は、Y. Dold-Samplonius, "Practical Arabic Mathematics: Measuring the Muqarnas by al-Kashi", Centaurus 35 (1992) 193〜242 の英訳と転記による(J. P. Hogendijk のサイトに公開されている写しで読んだ。定義は p.202、『算術の鍵』の完成が 1427 年 3 月 2 日であることは p.196)。ここに書いた数はすべてこのギャラリーで作図と計算をやり直したもので、閉じた形・接線の理由・読み違え仮説の検算・丸天井の組み立て・扇の模型の面積は実測である。タフテ・スレイマーンの出土板(13 世紀。Dold-Samplonius と Harmsen, Muqarnas 22 (2005) p.85 が「1968 年にドイツの発掘隊が見つけた 50 cm の石膏板」と書く)の平面図は Harb の復元図として同論文に載る。ここでは fig. 2 の図版から頂点 115・辺 175 を機械で座標に起こした(部分・帳簿⑨)が、寸法の主張はしていない。形式(段・胞・中間要素)と、図 3 の段の読み(Dold-Samplonius)を借りた。
- 身近
- 下から見上げた階段。モスクの入口の上の蜂の巣状の天井(Dold-Samplonius 1992 の p.199 が「ヨーロッパの言葉では蜂の巣・鍾乳石と呼ばれる」、p.204 が壁龕・入隅・半ドームなどに使われると書く)。
- 親戚
- アンマン–ビーンカー(正方形と 45° 菱形の 2 枚)・ロザンジュ(de Bruijn の階段)・測地線ドーム(建築の棚 第 1 弾)・主応力線のリブ(第 2 弾)・相持ちの屋根(第 3 弾)・等長の網(第 4 弾)・ギリ・タイル
- 生成
- generators/muqarnas.js(muqarnas.svg カード・muqarnas-book.svg 帳簿)
つながり: ロザンジュ(持ち上げでは書けない)・アンマン–ビーンカー(同じ 2 枚)・見取り図の発見90