蜘蛛の巣の幻視と、向きごと回す対称性
目を閉じていても見える幾何学模様のうち、蜘蛛の巣と格子のトンネルは線でできている。線の向きを好む細胞の結合を式に置き、平面を回したときに何が変わらないか、どんな線の模様が生まれるか、それが視野でどう見えるかを順に計算した。
なにか
明るい点滅光を見たときや、寝入りばなと目覚めぎわ、幻覚剤の作用の下で、人は似た幾何学模様を見ると報告されてきた。Klüver はそれを 4 種類にまとめた。トンネルと漏斗、螺旋、蜂の巣などの格子、そして蜘蛛の巣である。Bressloff・Cowan・Golubitsky・Thomas・Wiener(2002)は、この 4 種類を一次視覚野(V1)の回路の性質から説明した。前の 2 つは明るい帯と暗い帯の模様として出る。後ろの 2 つは、明暗ではなく線の向きの模様として出る、というのが論文の主張である。
V1 の細胞は、視野のどこを見ているかのほかに、どの傾きの線によく応じるかという好みを持つ。この好みを向きの札 φ(0° から 180°)と呼ぶことにする。論文のモデルでは、離れた細胞どうしの横の結合は、同じ札を持ち、しかも自分の札の向きの延長線上にいる相手に強い。論文は Gilbert と Wiesel(1983)や Bosking ほか(1997)の観察を引いて、この結合は視野の上で途切れない輪郭をつくる向きに伸びると書いている(p.478)。
この結合は、平面を回しただけでは同じ形に戻らない。位置を θ だけ回し、同時にすべての細胞の札を φ から φ + θ へ送ると、はじめて同じ形に戻る。論文はこの操作を shift-twist と呼ぶ。位置を回すのが twist、札を送るのが shift である。このページでは「向きごと回す」と書く。
核を回してみる
結合の強さを K(d, φ) = w(|d|)·h(α − φ) と置いた。d は相手までのずれ、α は d の向き、w は近くで興奮し遠くで抑制するメキシカンハット、h は延長線の向きで 1 になる山である。数字を出す前の見立ては、位置だけ回すと核のずれは 1 の桁になり、向きごと回すと丸め誤差しか残らない、だった。
ずれと札を 4,000 組とって比べると、位置だけを 15° から 120° 回した核は、もとの核と相対 2 乗平均で 0.92 から 1.47 ずれた。向きごと回した核のずれは 1e−15 の桁だった。鏡映も同じで、位置だけ裏返すと 1.27 ずれ、札も φ から −φ へ送ると 0 になる。180° だけはどちらの回し方でもずれが 0 になる。線の向きは半回転で元に戻るからである。
核そのものではなく、核を使った計算が回転と入れ替えられるかも確かめた。24 × 24 の格子に向き 8 通りの細胞を置き、でたらめな活動に「結合をかけてから 90° 回す」と「90° 回してから結合をかける」を比べた。位置だけ回すと差は 1.40、向きごと回すと 7.8e−16 だった。見立ては当たった。
偶の模様と奇の模様
何も起きていない平らな状態に、波数 q の波 u(φ − φ_k)·cos(k·r) を小さく足す。φ_k は波の進む向きである。向きごと回す対称性があると、札の側の形 u は波の向きに対して左右対称な偶か、反対称な奇のどちらかに分かれる。偶のいちばん単純な形は cos 2(φ − φ_k) で、波の山では波と平行な線が、谷では波と垂直な線が強く出る。奇は sin 2(φ − φ_k) で、山と谷に +45° と −45° の線が交互に出る。
横の結合の重み β が小さいとき、固有値は W₁ + β{g₀(q) ± g₂(q)} になる。+ が偶、− が奇である。W₁ は同じ場所の細胞どうしの結合から来る定数で、g₀ と g₂ は横の結合 w から決まる。論文の式 2.3 と同じ形で、g は w にベッセル関数 J₀ と J₄ をかけて積分した量になる。波数の側で計算した g と、実空間でベッセル関数をかけて積分した g は 1.4e−15 で一致した。固有値を 2 通りの刻み方で直接求めた値と、この 1 次の式との差は、β を半分にするごとに 4 分の 1 になった。
延長線上だけを結ぶメキシカンハットでは、奇が先に不安定になった。β = 0.05 のとき、奇の固有値は波数 1.323 で最大の 0.5939、偶は波数 1.084 で 0.5795 である。論文の図 4 も奇が先になっていて、同じ結果になった。抑制の重みを 0.5 倍から 2 倍まで振っても順番は変わらなかった。抑制を 0 にすると最大は波数 0 に移り、偶と奇の差は消える。
次に、結合の向きを延長線から ±χ₀ の扇に広げた。1 次の式では、偶と奇の差は sin 4χ₀ / 4χ₀ 倍になる。見立ては、χ₀ = 45° ちょうどで偶と奇が入れ替わる、だった。固有値そのもので入れ替わりの角を探すと、β = 0.1 で 44.30°、0.05 で 44.68°、0.025 で 44.85° になり、β を小さくすると 45° に近づいた。論文は「結合が軸から 45° 以上それると偶が選ばれる」と書いていて、その 45° がこの因子から出ることを確かめられた。χ₀ = 90° では結合がどの向きにも同じ強さになり、差は 0 に戻る。
模様の対称性
偶と奇の波を 2 本重ねると四角の模様に、3 本重ねると六角の模様になる。各点でいちばん強く出る向きに線分を置くと、線でできた模様が描ける。線の向きと強さは、複素数 Z = Σ A_j·e^{2iφ_j} の偏角の半分と絶対値で表せる。A_j は j 本目の波の高さである。
この模様を自分自身に重ねる平面の動きを、総当たりで数えた。見立ては、偶の四角が p4m、奇の四角が p4g、偶の六角が p6m、奇の六角が p6、だった。向きごと回す数え方では 4 つとも当たった。奇の四角は、偶の四角にあった鏡映 4 本のうち 2 本が映進に替わる。奇の六角には鏡映が 1 本もなく、渦はどれも同じ向きに巻く。
線分の向きを変えずに位置だけ動かす数え方では、同じ模様が四角で p4、六角で p2 にしかならなかった。格子を座標軸に合わせて置いたときだけ鏡映が現れ、置き方で答えが変わる。向きごと回す数え方では、格子をどう置いても答えは同じである。
もう 1 つの見立ては、回転の中心では線が消える、だった。3 回・4 回・6 回の回転の中心では |Z| が 6e−15 以下で、当たった。線分は 90° や 60° 回すと別の向きになるので、そこに線を置くと対称性が成り立たなくなる。2 回の回転の中心では線分が半回転で元に戻るので、|Z| は最大の 4.0 になる。偶の六角では、線が消える点を線の輪が囲む。波の符号を逆にすると線分はすべて 90° 回り、輪は中心から出る放射に替わる。
視野に戻す
V1 の上の位置は、視野の中心からの距離の対数と、角度とで決まる。視野の点を複素数で書くと、V1 の座標はその対数になる。V1 の模様を視野に戻すには指数関数をかければよい。線分は位置を写すだけでは足りず、向きも写像の微分で回る。指数関数の微分は指数関数自身なので、V1 の上で札 φ の線分は、視野の角度 θ の場所で φ + θ の向きになる。論文も、V1 の札と視野での線の向きは θ だけ違うと書いている。
長さ 0.2 から 0.025 の線分の両端を実際に写して向きを測ると、φ + θ からのずれは 1.7e−3 から 2.6e−5 で、長さの 2 乗で小さくなった。同じ点に置いた 2 本の線分がなす角のずれも 3.3e−3 から 5.2e−5 で、同じ速さで消える。この写像は角を変えない。
角度は 1 周で元に戻るので、V1 の縦方向の波数は整数でなければならない。四角の模様は整数の組 (m, n) ごとに 1 つあり、波数は √(m² + n²) になる。六角の模様では縦の波数が m・n・−(m + n) の 3 つになり、波数の 2 乗は (4/3)(m² + mn + n²) である。
偶の四角をまっすぐ置くと、放射の線の束と同心の弧の束が市松に並ぶ。これが蜘蛛の巣に見える形である。(3, 4) の組で傾けると網は渦を巻く。奇の四角は ±45° の線の束が風車の羽根のように並び、つながった輪郭を作らない。論文が「奇の模様は連続した輪郭を作らない」と書くとおりになった。偶の六角は輪の並ぶ蜂の巣になり、外へ行くほど輪が大きい。
どう作ったか
結合の核、2 通りの回し方、格子の上の計算を外部のライブラリなしで書いた。固有値は、札の側を cos と sin の級数で表した行列と、札を 64 点に刻んだ行列の 2 通りを、自前のヤコビ法で解いた。対称性は、回転 8 通りと鏡映 12 通りに、格子の 24 分の 1 刻みの平行移動 576 通りを組み合わせて総当たりし、残った動きから壁紙群の名前を決めた。図の線分は、V1 の上に等間隔に置いた点で Z を計算して描いた。
確かめていないこと。計算したのは平らな状態が不安定になるところまでで、どの模様が最後に残るかは計算していない。論文は、四角の模様は不安定で縞に替わり、菱形と六角は安定だと書いている。読んだのは Neural Computation の 2002 年の要約版で、詳しい 2001 年の論文は読んでいない。論文の図 6 のどの絵がこのページのどの模様に当たるかは、図を見比べていない。メキシカンハットの幅、局所の結合の係数、β は自分で置いた値で、生理の測定値とは比べていない。視野と V1 の対応は中心の近くでは対数から外れるが、ここでは入れていない。実際の V1 では向きの好みが場所ごとに並んでいて、どの場所にも全部の向きがあるわけではない。幻視の見え方そのものは文献の報告によるもので、自分では確かめていない。
出典
- 身近
- 幾何学的な幻視の 4 分類: H. Klüver, "Mescal and Mechanisms of Hallucinations" (1966)。下の論文の紹介によるもので、原著は読んでいない
- 数理
- P. C. Bressloff, J. D. Cowan, M. Golubitsky, P. J. Thomas, M. C. Wiener, "What Geometric Visual Hallucinations Tell Us about the Visual Cortex", Neural Computation 14, 473–491 (2002)。結合の式 1.2、向きごと回す操作、固有値の式 2.3、偶と奇の選ばれ方、V1 の札と視野の向きの関係はこの論文で読んだ。詳しい版は同じ著者の Phil. Trans. R. Soc. B 356, 299–330 (2001) にあると書かれている(読んでいない)。明暗の模様の理論は G. B. Ermentrout & J. D. Cowan (1979)、延長線上の結合の観察は W. H. Bosking ほか (1997) で、どちらも上の論文の紹介による
- 親戚
- 点滅光と皮質の模様・形の定数と対数の写像・皮質の縞と六角形・目を共有する顔と壁紙群・チューリング・パターン・和柄の対称群・家紋の対称群・周辺ドリフトと扇の弧
- 生成
- generators/shift-twist.js(shift-twist.svg 視野に戻した偶の四角・shift-twist-book.svg 帳簿。乱数は種を固定)